サッカーの試合中、ゴーグルをかけたまま中盤を縦横無尽に駆け回る選手を見たことがあるでしょうか。ドレッドヘアをなびかせながらボールを追い続けるその姿は、ひとたび見たら忘れられないインパクトを残します。
その選手こそ、元オランダ代表のエドガー・ダーヴィッツです。1990年代後半から2000年代にかけて欧州サッカーを席巻した中盤の守備の鬼として、「闘犬(ビットブル)」「デュエルキング」の異名を持つ名選手です。
「ダービッツのメガネはなぜ?」という疑問を持つ方は多いはずです。あのゴーグルにはれっきとした理由があります。2000年に左目に緑内障を発症し、失明の危機を乗り越えた末に、目の保護のためにゴーグルを着用するようになったのです。
この記事では、ダービッツがゴーグルをつけた理由と経緯、最初に使用したオークリーのゴーグルの特徴、FIFA・FAの規定における扱い、さらにはその輝かしいキャリアや、親日家として知られる日本との深い縁についても詳しく解説します。
- ダービッツがゴーグルをつけた理由は緑内障の発症と手術後の目の保護のため
- 最初に使用したのはオークリーの「レーシングジャケット」で、医師から勧められたもの
- サッカー規則(FIFA・FA)でもスポーツ用メガネの使用は認められている
- 親日家として知られ、中田英寿と親交があり武士道にも傾倒していた
ダービッツのメガネ(ゴーグル)はなぜ?その理由と使用ゴーグルの秘話
- ダービッツがゴーグルをつけた理由はなぜ?緑内障と手術の経緯
- 最初に使ったオークリーのゴーグルはどんな製品か
- FIFA・FAの規定でスポーツ用メガネは認められているのか
- ゴーグルがダービッツのトレードマークになるまでの経緯
ダービッツがメガネ(ゴーグル)をつけた理由はなぜ?

ダービッツがゴーグルをかけた理由は、緑内障の発症が直接の原因です。2000年に左目に緑内障を発症し、失明の危険もあったとされていますが、手術により克服しました。その後は、むき出しの状態では目に危険が及ぶため、保護のためにゴーグルを着用するようになりました。
Numberの記事でも「視覚障害を持った世界的なプレーヤーに、エドガー・ダービッツがいる。緑内障を発症して手術後に目を保護するためにゴーグルをつけてプレーした」と紹介されています。また、Wikipediaによれば「2000年、左目に緑内障を発症し失明の危険もあったが、手術により克服し特殊防護ゴーグルを着用することとなった」と記されています。
なお、ダービッツは2000年に薬物使用(筋肉増強剤ナンドロロン)が検出されたとして出場停止処分を受けたとの報告があります。本人は「緑内障の治療薬に含まれる成分が原因」とコメントしており、緑内障の治療が競技生活全般に関わっていたことがわかります。
若くして緑内障を患い、それでもゴーグルを着用してピッチに立ち続けたダービッツの姿は、「世界で最も有名な選手の一人」と評されるほどの強烈な印象を与え、同じような目の悩みを抱える選手たちにとっての希望にもなりました。
ダービッツが最初に使ったオークリーの「レーシングジャケット」とは

ダービッツが手術後に復帰して最初に使用したのは、オークリーの「Racing Jacket(レーシングジャケット)」だったとの報告があります。透明なクリアレンズを使用しており、医師からオークリーを勧められたとされています。
このレーシングジャケットは、UV・ブルーライトをカットする高い保護性能を持ち、散弾銃で撃たれても直角に当たらなければ弾をはじくほどの強度があるとのことです。スポーツ中の衝撃から目を守る性能は非常に高く設計されています。
構造面では、テンプルを畳む機能をなくしたゴーグルに近い設計で、「アンオブタニウム」と呼ばれるゴム素材を採用しているとのことです。このアンオブタニウムは汗をかいても滑りにくいという特性を持ち、激しい運動中でもフィットした状態を保てるとされています。さらにベンチレーション(通気)機能によりレンズが曇りにくくなっており、プロ仕様には接地面積の広い逆U字型のノーズラバーも搭載されているとのことです。
その後、スポンサーのナイキなどのゴーグルも使用するようになったとのことです。
「ダービッツ選手が使用して以来数多くの問い合わせがあり、ダービッツ選手が使用していない現在でも、度々お問い合わせいただく程に根強い人気を誇ります」とも報告されており、ダービッツのゴーグル着用がオークリーのレーシングジャケットを広く知らしめるきっかけになったことがわかります。
FIFA・FAの規定でサッカーでのメガネ着用は認められているのか

サッカーの公式試合でメガネやゴーグルを着用してプレーすることは、現在の規定では認められています。
FAの規定(IFAB Laws of the Game 2021-22)では「スポーツ用メガネは認められています」と明記されています。FIFAの規定(EQUIPMENT REGULATIONS)においても「医療またはパフォーマンス関連の目的でプレーヤーが着用する特別な物品は、提出された資料を分析した後、競技規則第4条に従ってFIFAが承認することができる」とされています。また「プレーヤーは、その唯一の目的が身体的保護であり、自分または他のプレーヤーに危険を及ぼさない場合に限り、特殊装具を使用することができる」という条件も定められています。
日本サッカー協会(JFA)の規定でも、主審が事前に認めた場合に着用が可能とされており、原則的には認められることが多いとされています。JFA競技規則では「最新の技術によりスポーツめがねが着用者のみならず他の競技者に対しても格段に安全になったことを考えると、主審はこのめがねの使用、特に若い競技者が使用することに対して寛容になるべきである」と記されています。
ダービッツがプレーしていた時代は、こうした規定が現在ほど整備されていなかった面もあり、「暗黙の了承のようなものがありました」との指摘もあります。安全性に配慮された製品として当時から認められていたものが、その後に規定として明文化されていった経緯があります。ダービッツのゴーグル使用はFIFA公認のものでした。
ゴーグルがダービッツのトレードマークになるまでの経緯

緑内障の手術後に着用し始めたゴーグルは、今やダービッツといえばゴーグル、というほどの象徴的なアイテムになっています。Wikipediaでも「そのゴーグルは彼のトレードマークとなっている」と記されており、ドレッドヘアとともにダービッツのビジュアルを形成する要素として広く認識されています。
ゴーグルをかけた姿があまりにも印象的だったため、「世界で最も有名な選手の一人となった」と評されるほどになりました。ニックネームである「ビットブル(闘犬)」の激しいプレースタイルと相まって、ゴーグル姿はダービッツというブランドそのものになっていったのです。
また、このゴーグルスタイルは視覚障害を抱える選手たちへのインスピレーションにもなっています。「彼のスタイルは、視力補正が必要な選手にとってのインスピレーションとなっています」という言葉も残されています。日本でも、松本光平選手が「ダービッツのようなゴーグルを発注した」との報告もあり、その影響は時代を超えて続いています。
スポーツ用ゴーグルを選ぶ際のポイントとして、安全のため頭の後ろにバンドで固定するタイプが推奨されており、通気性を高めて曇りにくい設計のものが多く出回っています。ダービッツが身をもって示したゴーグルプレーの姿は、今でも多くの選手や愛好家に影響を与え続けています。
オランダ代表ダービッツの実力と輝かしいキャリア、日本との深い縁
- オランダが誇るデュエルキングの圧倒的な守備力
- アヤックスからユベントスへ、ダービッツの輝かしいクラブキャリア
- 中田英寿を絶賛したダービッツの親日家ぶりと来日エピソード
- ダービッツ以外にもいるメガネ・ゴーグル姿のサッカー選手たち
オランダが誇るデュエルキングの圧倒的な守備力

エドガー・ダーヴィッツは1973年3月13日生まれ、スリナム・パラマリボ出身のオランダ国籍の選手です。身長168cm、体重68kg、利き足は左足で、ポジションはMF(アンカー)です。
「闘犬(ビットブル)」「デュエルキング」と称されたそのプレースタイルの核心は、スッポンのように食らいついたら離さないアグレッシブなディフェンスにあります。1試合16キロ走ることもしばしばあったとされており、屈強なフィジカルと無尽蔵のスタミナで相手の中盤のキープレーヤーをしっかりと無力化しました。
そのカバーリング範囲は驚異的で、どこにでもダーヴィッツが現れるため「11対11ではなく、11対12のように感じることさえあった」と表現されるほどでした。一見するとテクニックではなくガムシャラにボールを奪うハンタータイプに見えますが、実は「隠れテクニシャン」でもある多面的な選手でした。
セードルフとのゴールデンコンビでは「水を運ぶ選手」として守備からチームを支える役割を担いました。水を運ぶ選手とは、守備をしっかり行って相手からボールを奪い、攻撃的な選手に渡す役割を指します。派手さはなくとも、チームの根幹を支える不可欠な存在だったのです。オランダ代表としては74試合6得点の記録を残しています。
アヤックスからユベントスへ、ダービッツの輝かしいクラブキャリア

ダーヴィッツは1985年からアヤックスのユースに所属したとのことで、1991年にトップチームデビューを果たしました。1994-95シーズンには、パトリック・クライファートらとともに20歳の若さでUEFAチャンピオンズリーグを制覇するという輝かしい実績を残しています。
1995年にはトヨタカップで来日し、グレミオをPK戦の末に下して優勝を果たしました。これがダービッツにとって初めての日本との縁となりました。
1996年にACミランへ移籍し、1997年にはユベントスへ移籍(移籍金800万ユーロ)。ユベントスでは背番号26を背負い、1997-98シーズン、2001-02シーズン、2002-03シーズンと3度のセリエA優勝に貢献しました。
2004年にはバルセロナへレンタル移籍し、「中盤の守備がしっかり安定し、不振に苦しむチームをリーグ2位に押し上げる最大の原動力となった」と評されました。その後インテル、トッテナム、古巣アヤックスと渡り歩き、2012年にはバーネットFCに選手兼任監督として加入するなど、晩年まで現役にこだわり続けました。
個人の実績としては、1999年のワールドサッカー誌「20世紀の偉大なサッカー選手100人」で81位に選出されたとの報告があり、FIFA100にも名を連ねています。1998年のバロンドールでは8位を獲得しています。
中田英寿を絶賛したダービッツの親日家ぶりと来日エピソード

ダービッツは親日家として知られており、日本や日本文化が好きだと語っています。武士道に傾倒しており、自宅に和室と数多くの日本刀を所有しているとの報告もあります。また、中田英寿が帰国する際に甲冑のお土産を頼んだとも伝えられています。
ユベントス時代に同じセリエAで活躍していた中田英寿とは友人関係を築きました。1998年、中田英寿がユベントス相手に2ゴールを記録した試合後のインタビューで、ダービッツは「偶然でユベントスから2ゴールも取ることは出来ない。中田は本物だ」と発言しています。当時世界最高峰のクラブに所属するトップ選手から贈られたこの言葉は、中田英寿の実力が世界に通用することを証明するものとして語り継がれています。
2014年ワールドカップ前には来日し、日本代表にエールを送るという行動もとっています。1995年のトヨタカップ来日に始まり、繰り返し日本と縁を結んできたダービッツの親日ぶりは本物です。レジェンドマッチ「DIAMOND CUP OF LEGEND」(横浜・ニッパツ三ツ沢球技場)にも参戦したとの報告があり、日本のサッカーファンとの交流を大切にしてきた選手です。
ダービッツ以外にもいるメガネ・ゴーグル姿のサッカー選手たち

ダービッツのゴーグルスタイルは特別なものではなく、視力や眼の問題を抱えるサッカー選手は世界各地に存在します。
イニャツィオ・アバーテ(ACミラン・エンポリ・トリノ、イタリア代表)は、2017年2月26日のサッスオーロとの試合中に眼の外傷を負い、その後保護のためスポーツ用メガネを使用するようになりました。ロベルト・フィルミーノ(リヴァプールFC、ブラジル代表)も2018年の試合中に眼の外傷を負い、保護メガネを使用しています。
アレクサンドル・ソング(アーセナル・バルセロナ等、カメルーン代表)は感染症によりコンタクトレンズが使用できなくなったためメガネを着用しました。アンドリュー・ファレル(ニューイングランドレボリューション、アメリカ)は網膜剥離の手術後、目の保護のためゴーグルを着用。フランシスコ・モンテーロ(アトレティコ・マドリード等)も同じく網膜剥離の手術後にスポーツ用メガネを使用しています。
「彼のスタイルは、視力補正が必要な選手にとってのインスピレーションとなっています」という言葉が示すように、ダービッツのゴーグルプレーは後に続く選手たちへの道を切り拓いたともいえます。スポーツ用ゴーグルを選ぶ際は、安全のために頭の後ろにバンドで固定するタイプを選ぶこと、通気性を確保して曇りにくい設計のものを選ぶことがポイントです。
ダービッツのメガネとその功績まとめ
この記事のまとめです。
- ダービッツがゴーグルをつけた理由は2000年に左目に緑内障を発症し失明の危険があったため
- 手術により克服し、目の保護のためオークリーのゴーグルを着用するようになった
- 最初に使用したのはオークリーの「Racing Jacket(レーシングジャケット)」で、医師に勧められた
- 透明クリアレンズを使用し、UV・ブルーライトカット、汗でも滑りにくい素材を採用しているとのこと
- その後スポンサーのナイキなどのゴーグルも使用するようになったとの報告がある
- FIFA・FAの規定ではスポーツ用メガネの着用は認められている
- ダービッツ時代は「暗黙の了承」から始まり、現在は正式に規定化されている
- ゴーグルはダービッツのトレードマークとなり「世界で最も有名な選手の一人」と評された
- ニックネームは「闘犬(ビットブル)」「デュエルキング」と呼ばれた守備の鬼
- 1試合16キロ走る無尽蔵のスタミナと屈強なフィジカルが武器
- アヤックスでCLを制覇し、ユベントスで3度のセリエA優勝に貢献
- 1999年「20世紀の偉大なサッカー選手100人」81位選出、FIFA100にも選出との記録がある
- 親日家として知られ、武士道に傾倒し自宅に和室と日本刀を所有しているとの報告がある
- 1998年に中田英寿を「中田は本物だ」と絶賛し、友人関係を築いた
- ダービッツのゴーグルスタイルは今も多くの視覚障害を抱えた選手たちへのインスピレーションとなっている

